現在の社会は、情報というものの信頼性が根底から揺らいでいます。
ひと昔前であれば、様々な情報は既存のメディアによって時間をかけて精査され、発信者の責任のもとで届けられていました。民放の情報に疑問があればNHKや新聞を確認する。裏で何らかの力関係が働いていた可能性はあるにせよ、少なくとも「情報の精査」というフィルターを通っていたことは確かです。
しかし、インターネットとSNSの普及により、情報を取り巻く環境は一変しました。
## 誰もが発信者となった時代の「無責任な拡散」
現在のメディアやネット空間では、機関が精査した情報よりも、ネット上に転がっている「バズった情報」がそのまま取り上げられてしまう現象が起きています。
特に問題なのは、情報源の不透明さです。誰が発信しているかもわからない情報が、インパクトや感情を煽る内容であるというだけで拡散され、間違った内容であっても「真実」として広まってしまう。
小学生や中学生がAIを使って作成したような偽情報であっても、大人がそれを鵜呑みにし、拡散に加担してしまう現実があります。SNS利用における情報リテラシー教育や年齢制限のあり方が問われているのは間違いありません。
## 感情の誘導と「認知の不協和」
さらに恐ろしいのは、この構造が悪用されることです。
先の衆院選のように多額の資金やネットワークを投じ、SNSを通じて国民感情を高度に誘導する手法は、現代政治やマーケティングにおいて現実のものとなっています。人の感情を揺さぶり、先入観を植え付けるプロセスは、新興宗教の洗脳手法とも酷似しています。
人間には、一度何かを信じ込むと、それに反する事実を突きつけられても拒絶してしまう心理(認知の不協和)があります。「自分の間違いを認めることは、自分自身を否定することになる」ため、どれだけ客観的なデータを示されても撤回できません。今でも高市を支持している人たちはきっとそんな感情だと思います。
## 現実を見つめ直す力
高市政権の暴挙により、円安や物価高、税や社会保険料の負担増など、日々の生活における「現実」がそこにあるにもかかわらず、ネット上のストーリーや特定のシンボルを信じ続けてしまう。株価の乱高下や一部の利益ばかりが強調され、国民の生活実態との乖離が進む——これこそが現代の情報社会が仕掛けた「罠」ではないでしょうか。
アルゴリズムと拡散の波に流されることなく、私たちは今一度、「目の前の現実」と「情報の真偽」を自分の目で確かめるリテラシーを取り戻す必要があります。